今年の2月に奥久慈へ行った際、温泉に売っていた「山方の石仏石塔」という本を購入した。山方町教育委員会等が平成11年に発行したもので、山方町内(現在 山方町は合併して常陸大宮市)の石仏石塔が紹介されていると同時に、所在地も書かれている。所在地には、国土地理院の地形図にも現れない小さな峠が書かれ、石仏の分布図で位置も記されていた。その中でも、久隆地区の峠が目を引いたので、越えてみることにした。
18きっぷを使い、東北線の始発から烏山線に乗り継ぎ、烏山駅を8:15にスタート。烏山の市街を抜け、県道29号で茨城県へ。R293に入り、美和の高部から県道32号のタバッコ峠を目指す。最後の民家を過ぎ、道幅が一車線になった辺りから勾配が増し、ちょっと登りごたえがあった。
谷の対岸を見ると、作業道のような径が並行している。旧道だろうか?今回は、そのまま舗装路を登ることにして、峠に到着(写真)。峠東側の少し高い辺りに石碑が建っていた(写真)。少し装飾もされているようだが、何の碑だろうか?
峠からは1kmほど下ると栃原新田の民家が点在し、なだらかな谷地の中を緩く下ると行った感じ。峠から4kmほどで、林道手小谷沢線が右に分岐する。分岐には栃原金山の看板も立っていた。手小谷沢線は、最初0.3kmほどはコンクリート舗装で急登の後(写真)、未舗装になると川沿いまで下って、再び緩く登り始める。杉の植林の中、暗い林道を登っていくと鉱山(跡?)への分岐があり、道の左側に金山神が祀られていた(写真)。谷の奥で折り返すまでは10%近い登りもあったが、谷の奥からは緩い登りになり、峠の少し手前からは舗装になった。大きな木のある浅い切通しに到着(写真)。この峠、本には久隆沢峠の名がある。切通しから少し高い所に大きな木があり、その根元に二十三夜塔の碑が建っている。車道を造る時に開削して、切通しにしたのかもしれない。峠の両側ともに旧道らしい踏み跡はあったが、今回は舗装車道を下った。
1.5kmくらい下って、久隆沢の集落に入る直前に、左側(東側)に墓地があり、その脇を作業道が登っている(写真)。これを詰めた鞍部が変わった名前のス虫沢峠。
峠への道は、最初は急坂なので押上げたが、砂防ダムの脇を過ぎると緩くなり、わずかだが乗れる部分もあった。
少し進むと左手の一段高い所に廃屋があるが、地形図の家屋表記はこれを示しているようだ。さらに自転車を押して谷沿いの作業道を進むが(写真)、径は次第に不明瞭になり消失。しかたなく谷を詰めるべく自転車を担いで登り始めるが(写真)、少し登ると峠への径が交差する。途中、気づかなかったが、
峠への径は一段高い廃屋のあたりから谷左手の斜面を登り、谷を渡って峠へ続いているようだ。谷から峠径へ入ると、緩く登ってス虫沢峠に到着(写真)。峠には馬頭観音に由来するらしい石仏が祀られていた(写真)。思ったよりも良い径で、ほとんどヤブもなく下りも楽しみだ。
峠の仏様に一礼し、下りにかかる。斜面を下る径は、やや細いが明瞭(写真)。ただし伐採した杉の枝が多く、ほとんど乗れなかった。植林帯を抜けると径はさらに悪化。道幅は作業道くらいになるが、茨が多いヤブの急坂で(写真)、
人はほとんど入っていないようだ。15mくらい下に砂利道が見えたが、茨の斜面では担ぎ下ろすのも大変だ。茨と格闘しながら、そのまま径を押して下ると、10分くらいで先の砂利道に合流。砂利道を下ると、2kmくらいで県道32号の水貫あたりに出た。
さて、久隆へ戻るためには再び尾根を越え返さなければならない。大倉沢に沿った林道を登り破線路を押し上げようと考えていたが、ス虫沢峠の下りがかなり荒れていたため、多少不安になった。まあ、いざとなったら大回りでもしようと、林道大倉沢線へ入る。傾斜も緩く走りやすい林道をどんどん詰めていくと、約2kmで終点。ただし作業道が続いている。作業道はしばらく大倉沢の左岸(向かって右の斜面)に沿って緩く登っていくが(写真)、10分くらい押していると分岐があり、沢を渡って左へ(写真)。ブルドーザーで作ったような車道幅の道で、下りなら乗れるかもしれない。しばらく押し上げると、右手の沢から回り込んで鞍部に到着(写真)。名前は判らないが、「大倉沢峠」とでも行ったところか。
鞍部からは左にクランクして、U字に掘れたきれいな径が久隆方面へ下っていた(写真)。
ス虫沢峠の径と同じ破線路だが状態が良く、タイトターンもそれなりに頑張ってみたので、久隆まで100%乗って下れた。地形図に描かれているとおり、県道321号の七内峠入口付近に出た(写真)。
時計を見ると13時をまわったところ、これなら七内峠と見町峠の周回も何とかなりそうだ。寄藤橋を渡って、舗装路を登っていくと約0.6kmで舗装が切れ、山径になった。径は、最初はよく踏まれて押しやすいが(写真)、5分も経たないうちに沢のガレ径に変わりヤブもひどくなった。地形図で描かれているルートは谷底を素直に進み、最後に斜面を直登しているが、実際には峠に向かって左にある大きな谷に一度入り、斜面に沿って高度を上げながら谷から出てきた。その後も斜面に沿って登っていくため、地形図ルートよりも東の斜面を辿るようだ。この辺りになると、ヤブも深く枝打ちした杉も散乱しているため、かなり手強い(写真)。稜線が迫ってきて傾斜も緩くなると鞍部へ到着。ヤブの作業道は先に延びているが、1mくらいで稜線を乗っ越せる。下に林道が見えたので(写真)、崖を5mくらい担いで下ると林道に出た。林道を南西方向へ進むとすぐに、別の径が稜線から下っていた。さっき越えたよりもヤブの作業道を詰めたあたりが本当の七内峠かもしれないと思い、この別の径を稜線まで登ってみた。特に峠らしい目印はなかったが、やはりヤブの作業道と合流した。再び林道に戻り(写真)、林道を下って七内集落の北の外れに出た。
舗装路を下って古内から熊沢林道に入る。大した林道ではないが、そろそろ脚も疲れてきているのでペースは上がらない。ピーク付近で道はアスファルト舗装に変わり上郷ニに下る。T字路を左折し、北上して見町峠を目指す。少し登った三叉路には「見丁林道」の道標があり、このあたりから民家の裏へ回り込んで径を探すと、沢に丸木橋が渡してあった(写真)。丸木橋を渡ると谷に沿って踏跡が続いている。そのまま辿って登ると、暗い杉林の中、多少ヤブっぽいが、鞍部を目指して踏跡が登っていく(写真)。「地形図では尾根径のように描かれているが、峠で合流するのか・・・?」などとも考えながら鞍部を目指す。鞍部直前で踏跡を見失うが、もう10mくらいの標高差なので、そのまま強引に押し上げて鞍部へ到着。が、径も踏跡もなかった。久隆へ下る径も地形図に描かれているはずの径もなく、ヤブが広がるばかり(写真)。周りの風景や、丸木橋に入るまでのルートを考えても、この鞍部が地形図破線路の峠に間違いない。「きっと、かなり昔に径は消失したのだろう」と、元来た径を引き返した。
再び丸木橋を渡り、見丁林道入口に出る。どこから輪行しようかと考えたが、本数の少ない水郡線は避け、結局、朝出発した烏山まで走り、自転車をたたんだ。
※が、間違いに気づいたのは帰ってからだった。「山方の石仏石塔」の分布図をよく見直してみると、 見町峠は地形図の破線路とは別の鞍部を越えていて、地形図には描かれていない径のようだ。近いうちに出直しだな。
走行距離75.0km(烏山駅8:15→タバッコ峠9:45〜55→久隆沢峠10:40〜55→久隆沢11:00〜10→ス虫沢峠11:30〜45→水貫12:15→大倉沢の鞍部13:00→久隆13:10〜20→七内峠13:50〜14:05→見丁林道入口15:00→鞍部15:25〜40→烏山駅17:10)
相棒;MTB(26×1.9)